南極の地に降り立ったハウスメーカー社員

ミサワホーム

南極地域観測隊の越冬隊員に抜擢

ミサワホームの秋元茂さん。ハウスメーカーの社員でありながら、南極地域観測隊 越冬隊に参加したという稀有なキャリアの持ち主です。昭和基地で、設営部門・建築担当として自然エネルギー棟の建築工事、既存建物のメンテナンス工事などを担いました。

ミサワホーム

ミサワホーム 秋元 茂さん
2009年11月から2011年3月まで、第51次南極地域観測隊 越冬隊員として昭和基地での活動に参加

「大学時代は林学専攻で、木という素材を様々な角度から学びました。入社後は、技術部で合板の強度実験や接着剤の耐久試験など、ひたすら実験に明け暮れる日々。自分のデスクよりも実験室にいる時間のほうが長いので『実験くん』というあだ名がついたほど(笑)。自由にいろいろなことをやらせてくれる風土の中で、ものづくりの何たるかを体得して来たと思います。この時代が自分の礎になっていますね」。

同社は長年、南極地域観測隊の活動や生活を支える建物を受注しており、秋元さんも入社5年目から施設の設計、部材製作等の業務に従事。そして、入社19年目の年に隊員として南極の地に降り立つことになります。


極限の地で高めた技術を家づくりに活かす

南極の建築物は、建築経験や気象条件に左右される現場施工を極力少なくするため、断熱材の充填や外装・内装など多くの部分をあらかじめ工場生産し、建築経験がなくても建物品質を確保できるようになっています。現地で組み立てるパネルは、国内でいったん仮組みをして仕様や施工の手順、納まりを確認の後、解体して砕氷艦『しらせ』に積み込み、南極の地まで送り届けられるそうです。

「南極での施設づくりは隊員総出で行うため、建設に関して素人のメンバーでも組み立てられる作業性が求められます。しかも最低気温-45℃、最大風速60m/秒という過酷な自然環境の中、限られた時間で仕上げなくてはなりません。そこで、工業化住宅の施工性の高さが活きてくるんです」。

「木質パネル製であることのメリットも大きいです。木は断熱性が高くて結露が起きにくく、軽いため運搬・施工しやすい。実際、南極の日本の基地施設の建物の多くは木質パネルでつくられているんですよ」。ちなみに、ミサワホームが建設した隊員の居住棟は、外気温が-40℃でも室温は15℃~20℃を維持。室内には床暖房も施され、軽装で過ごせるというから驚きです。

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(左)極寒の中、作業を行う秋元さん (右)組み立て中の自然エネルギー棟。南極は太陽高度が低いので、太陽光集熱パネルが壁面に設置されています

秋元さんが担当した『自然エネルギー棟』は、太陽光集熱暖房システムを採用。夏季には自然エネルギーだけで室内を20℃程度まで温められるしくみをもち、雪上車整備室には床暖房を設置。また、スノードリフト(雪の吹き溜まり)対応の屋根形状も、昭和基地で初めて導入。ここで開発された技術がミサワホームの家づくりに活かされているそうです。

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「南極越冬隊では、レクリエーションも重要な仕事です。 運動不足にならないよう、ドッヂボールやハイキングをしましたよ。もちろん外で(笑)」

南極での経験をへて、現在は防腐・防蟻・耐水など住宅の耐久性能や、防火性能に関わる分野を主に開発している秋元さん。「難しいと思われがちな技術分野の話を、社内にもお客様にもわかりやすく伝える責任があると思っています」。専門用語に頼らず、理解しやすい言葉で商品の性能を語る必要を感じており、南極で建設経験のない隊員達に伝える言葉や方法を模索したときの経験が活きていると語ります。「寒いところは苦手だから、もう南極はいい(笑)」という秋元さんですが、極地でのかけがえのない経験は日々の仕事に脈々とつながっているようです。

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(左)秋元さんが南極から日本に帰国したのは、東日本大震災の1週間後。 「被災地のために何かできないかと考え、子どもたちに南極での活動を伝える『南極クラス』を始めました」 (右)ミサワホームの『南極クラス』は全国に活動を広げ、累計600校、75,000人以上の子どもたちに南極の話を伝えています