【名建築】日本人の設計・施工による本格西洋式ホテル「旧三笠ホテル」

日本の代表的な避暑地である軽井沢。今回は、そんな大人気の地に建つ美しい「旧三笠ホテル」をご紹介したいと思います。明治・大正の華やかし時代に、多くの西洋人や要人に愛されたこの建物は、純西洋式の木造ホテル。とはいっても設計や施工は日本人の手によるものでした。


ドイツやイギリスの建築様式を採り入れた、日本人の感性が光る佇まい

軽井沢・三笠ホテル

旧三笠ホテルの開業は、実業家、山本直良氏によるものです。明治37年頃、酪農を目的に軽井沢に土地を購入しますがうまく行かず、保養地として西洋人がたくさん訪れていることに目を付け、ホテル開業を思い立ちます。

そこで明治27年に開業し、西洋人から高い評価を受けていた「万平ホテル」の経営者、佐藤万平に相談。工事監督をお願いするとともに、設計に岡田時太郎、大工棟梁に西洋人の別荘を何棟も手がけていた小林代造を迎え、明治38年に竣工するのです。当時は外国人避暑客専用ホテルだったそうです。

外国人向けのホテルですから、見た目は西洋建築そのもの。スティック・スタイル(木骨様式)を採用したゴシック風で、下見板はドイツ風に、扉はイギリス風に仕上げられました。このあたりが日本人の設計の特長なのでしょう。いいものを採り入れ、それらをバランスよく融合させるのは、私たち日本人の得意技と言えるのではないでしょうか。西洋人ではない人物が、このような建物を設計・施工できるのは驚きと言えます。その観察眼、審美眼には感服です。


本物を知る人々からこよなく愛された、本物の西洋式ホテル

当然ながら室内や装飾品にも西洋文化が採り入れられています。各客室には、軽井沢に別荘を建て、滞在する外国人のニーズに応えることで発展した「軽井沢彫」の西洋家具を備え、照明にはアセチレンガスを用いたイギリス製を、洋食器やピーポット等などもヨーロッパから取り寄せ、こだわり抜いたと言います。さぞかし、随分とお金がかかったことでしょう。でも、だからこそ旧三笠ホテルは“本物”であり、本物を知る西洋人から人気を博したのです。

三笠ホテル・軽井沢彫家具

庭園やテニスコート、クロケットヤード、プール、別館などもあり、当時の宿泊費は1等12円、2等8円、3等5円。その後、日本人客も泊まれるようになり、近衛文麿や徳川義親、有島武郎などといった錚々たる著名人が訪れ、たびたび晩餐会を開いたそうです。

それ以降の旧三笠ホテルは大水害に遭ったり、買収、戦争による休業、進駐軍による接収、昭和26年には米軍の失火により、別館が焼失してしまうなど、数奇な運命をたどります。しかし、昭和27年に米軍が撤収したことから、「三笠ハウス」として営業を再開。昭和45年に廃業するまでの約20年間には、上皇后美智子さまが独身時代にご家族と滞在されるなど、名ホテルとして愛され続けたのでした。


まとめ

旧三笠ホテルは昭和49年に今の場所に移築され、昭和55年5月31日には国の重要文化財に指定されました。現在、旧三笠ホテルは大規模保存修理工事により長期休館中で見学ができませんが、令和6年3月の再開(予定)後には、きっとさらに当時の美しさを蘇らせ、私たちの前に姿を現してくれるでしょう。まだ訪れたことのない方も、これまで訪れたことがある人も、再開後にはぜひ見学に行って欲しい名建築です。